私と場面緘黙~幼稚園編~
こんばんは、芽映です。
今日はだらけてしまったぁ~💦
明日は大学図書館行って勉強頑張らなければ。
さて、「私と場面緘黙」シリーズ、今回から始めます。
最後まで書ききれるかしら…。ちょっとフラバしそうな気がするけど頑張ります(ง •̀_•́)ง
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私が場面緘黙になったきっかけは、覚えていません。
物心ついた時から、幼稚園で話せませんでした。
声を出した記憶もほとんどありません。
母も私が園で黙ったままのことは気づいていました。
高2のときに押し入れから幼稚園時代の親子文集を見つけました。そこには、
「園では黙ったままの芽映ですが、家ではよく妹とケンカしています、当然姉なので勝っています🔥」
と、母の字で書いてありました。
母子手帳の6歳の欄のところにも、「自分からお友達に話しかけられない」「内弁慶」と書かれていました。
だけど、場面緘黙なんて言葉は認知度が低く、極度の人見知りだと思われていました。
私自身も幼いながらに自分の家と園での違いに気づき、自分はおかしいなと思っていました。
そんな中、幼稚園年長の夏休みに引越しし、別の幼稚園に転校しました。
その頃かな、話せないことを強く意識しだしたのは。
「遊びに入れて」が言えない。わからないことが聞けない。
周りの子からも「なんで喋らないの~?」って言われてましたね。
みんなが園庭で遊んでいるとき、私は一人室内でじっとしていました。
そんな私を見て、保育士がヒソヒソ話していたのを今でも鮮明に覚えています。
そのことに気づいた私は、「私のことを悪く言ってるんだ…」とショックを受けました。
当時の写真がアルバムに残っていますが、家では満面の笑みなのに、園での写真は無表情で固まっていて、その差に自分でも驚きました。
そんな状態のまま幼稚園を卒業し、小学校に入学します。
もしこの時点で場面緘黙症だと気づかれていたら、後々苦しまなかったかもしれない…
あのとき気づいてくれたらな…
では、今日はここまで。
読んでくださった方、ありがとうございました。
芽映🌱